漢字圏の各種言語の特徴について

一応、漢字の読み方に入って行く前に、そういうことを概括しておかないといけないと思う。しかし、本格的にやると大変である。とりあえずメモ程度に書いておくことにする。また後で編集すればいい。

このブログでとりあえず扱おうとしている対象は、日本語、中国語、朝鮮語ベトナム語という4つの言語である。(ただし、中国語という言語は実際には「ひとつ」ではない。さしあたり北京語をとりあげるが、他の「方言」をどのように扱うかは、改めて考えてゆくことにしたい)。そしてこの4つの言語を比較検討する際には、あんまり気乗りはしないのだけど、とりあえず英語を「基準」にして、考えてゆくことにしたいと思う。日本語を基準にしてしまうと、他の言語圏から読みに来る人たちに対して、絶対に分かりにくいことになってしまうと思うからである。

I am a Japanese.
I hate wars.


…とりあえずこの2つの文を例にとって、4つの言語の特徴を見て行くことにしたい。上がいわゆるSVC (主語+動詞+補語) 、下がいわゆるSVO (主語+動詞+目的語) の文型になっている。

英語と一番似ているのは、中国語である。

日本人うぉーしーりーべんれん)
讨厌战争(うぉータオいぇんちぇんじょん)


…一語一語がほぼ英語と対応関係にあり、語順も一緒である。ベトナム語もこれと似ている。

Tôi người Nhật Bản.
トイ んごいにゃっばーん)
Tôi ghét chiến tranh.
トイ げっ チェンちゃーん)


「日本人」にあたる「んごいにゃっばーん」という単語がえらく長大に感じられるが(実際には「んごいにゃっ」と略して言われることが多いのだが)これは「んごい(人)」という言葉と「にゃっばーん(日本)」という言葉に分割される。

つまりベトナム語では、修飾語が修飾される言葉の前ではなく、後に来るのである。これは、われわれになじみのある他の言語にはあまり見られない特徴だと思う。

「にゃっばーん(日本)」と「チェンちゃーん(戦争)」が、言うまでもなく漢字由来の言葉であり、ベトナムではこうした言葉はTừ Hán-Việt(トゥー・ハン・ヴィエッ=詞漢越)すなわち「漢越語」と呼ばれている。新聞に出て来るような言葉は、70%以上の語彙がこの「漢越語」で構成されているという。つまり、漢字の読み方さえ覚えればベトナムの新聞の70%以上は読めるわけだ。がぜんやる気が出てきたぞ。

これに対して、われわれの母語である日本語、および朝鮮語は、まるっきり違った構造を持つ言語である。

は)日本人です。
は)戦争が嫌いです。


…「私」「日本人」「戦争」という言葉には、とりあえず色をつけることができた。しかし「です」や「嫌いです」に、英語や中国語、ベトナム語と同じような「青色」をつけていいとは、私にはあまり思えない。be動詞が「です」にあたるという説明は、中学校で最初に習うことだけど、日本語の場合、「です」は省略しても通じるのである。また「です」という言葉は、むしろそれが「丁寧語」であることを示すために、つけられている意味の方が強い。英語のbe動詞にそんな意味はない。そしてbe動詞は基本的に、省略することができない。

「嫌いです」というのも、どうなんだろう。「嫌い」はむしろ、形容詞なんではないだろうか。だいたい、丁寧語の場合、動詞のうしろにつくのは「ます」という語尾である。(食べます。走ります。おなかこわします…)。「です」がついているということは、われわれはその前の部分の言葉の全体を「私が戦争を嫌いな状態」を意味するひとつの「名詞」として感覚しているということなのではないだろうか。

このように、同じ「キライだ」という言葉を動詞ととるか名詞ととるか、はたまた形容詞ととるかということについてさえ、英語や中国語、ベトナム語を話す人たちと我々は「違った感覚」を持っているのである。幸か不幸かそういう言葉を喋る親の子どもとして生まれついてしまった我々は、そこからスタートして「世界」の謎を解き明かしてゆく他にない。

違いは、他にもある。日本語の場合、「私は」という「主語」は、必ずしも必要ではない、ということである。むしろ、ただ「日本人です」と言うのと「私は日本人です」と言うのとでは「違った意味を持つ言葉」になると言っていい。「私が日本人です」になると、これはもう「日本人です」とは全然、意味が違う。

I hate wars は「戦争がキライです」とも訳せるし、「戦争をキライです」とも訳せる。こうした「助詞の選び方」で違ったニュアンスを表現することも、「英語系」の言葉を話す人たちには、言葉の構造上、不可能なことである。と言うか我々は別にそういうことを「やりたくて」やっているわけではない。そうしたニュアンスを「いちいち」気にしなければモノが考えられない言語を使って、生きているというだけの話なのである。

文法というのは学校の授業の中でも一番どうでもいいことのように思えた「分野」だったが、実はそれは「我々が世界を対象化する方法」そのものなのであって、その意味で我々は「日本語の文法に支配されて」日々を暮らしているのだと言っても、過言ではない。そして文法に関する知識は、他の言語圏の人に日本語を教える時にこそ、必要になるものなわけなのだが、その必要性にかんがみた時、学校で習うような文法用語では、違う言葉を話す人たちに対して「大事なこと」を全く説明できないといっていい。日本語の文法の研究それ自体が、英語や他の主要な西欧言語の用語を使って進められてきたから、実は全く未完成なのである。このブログが英語に「基準」を置かざるを得ない理由も、そこに存在している。我々は我々自身が使っている言葉について、あまりに多くのことを「知らないまま」でいるのだ。

最後に朝鮮語について見ると、我々にとっては「幸運」なことに、そして「英語系」の言葉を喋る人たちにとってはものすごく不幸なことに、その文法構造はほとんど同じである。

는)일본사람입니다.
チョぬん)イルボンさら みむにだ.
는)전쟁싫어합니다.
チョぬん)チョンジェンシロはむにだ.


「イルボン(日本)」と「チョンジェン(戦争)」が漢字語である。「シロはむにだ」の「シロは」までを青色にしたのは、日本語と違って朝鮮語の場合はこれが動詞であることがハッキリしている言葉だからである。

「いむにだ」「はむにだ」が、朝鮮語では日本語の「です」「ます」に相当する。丁寧語を使わずに「〜だ」と言い切りたい時には「いだ」「はだ」と言えばいいのである。助詞の使い方もほぼ日本語と同じで、「ぬん」が「は」に、「い」が「が」に相当する。

こんなに似ているので、私は朝鮮語の文章を日本の文字で表記する時には、日本語の文章で漢字が来るところをカタカナで、「です」「ます」などの必ずひらがなになるところだけを、ひらがなで表記するようにしている。そうすると、だいぶ読みやすくなる。

…以上、漢字圏の4つの言語の特徴を概括してみたが、何だか大変なことを始めてしまった気がする。こんなことを続けていて「漢字の読み方」にまで、はたしてたどりつけるのだろうか。